連日こんにちは。
パパ主任研究員です。
2日目にして既に毎日更新なんて言わなきゃよかったと思っています。
文章を書くこと自体は嫌いじゃないんですけどね。
ってことでまずは宣伝から。
今 読んでもらいたいのはこちらです。
今日は昨日に引き続き雑談記事です。
構成も考えておらず完全にライブ感覚で執筆します。
文章が下手だとか、そういうことは言わない約束!
明日からは投資案件の記事も織り交ぜながら毎日更新をしていこうと思います。
さすがに雑談ばっかり読みたい変わり者もいないでしょうから(笑)
当研究所が期待されているのは『儲け話』ですからね。
それは承知しております。
まぁでもワタクシがどんな人間かをお伝えしていくことも、ファン化を進めるにあたってはムダではないはず。
未だにファンなんかいるのか??って思ってますが、一応いることにして書いていきます。
それではいってみましょう。
パパ主任研究員の目指すところ
マジで何書こうかなぁと思いながら『マジで何書こうかなぁ』ってキーボードを叩いたわけですが、ワタクシの目指す理想について書いてみようと思います。
30代も半ばになり、結婚して家庭を持つようになったら本当に価値観ってのは変わってきます。
ワタクシの半生を振り返りながら、それぞれの時代に大切にしていたもの・理想としていたものを整理してみます。
なんか記事になりそうかな?
学級委員をやっちゃう小学生時代
ワタクシは静岡出身。
さらに物心ついた頃にちょうどJリーグ開幕。
ってことで、小学生の時はサッカーに夢中でした。
この頃から現在に至るまで、清水エスパルスのファンを貫いています。
未だに清水が勝てば超嬉しいし、負ければイラつく。
オレンジ好き。
この頃の夢って案外思い出せないものですが、ベタにJリーガーだったかな?
ま、特別上手いわけでもなかったし、Jリーガーになることを現実の夢としていた記憶もないですけど。
ワタクシは小さい頃からわりとなんでも出来る子でした。
通信簿は基本的にいつも高評価をもらっていたし、学級委員も数知れず。
学級委員って面倒だからやりたくないんですけどね。
何度もやらされました。
基本的に根が真面目なんで、小・中・高・大学まで授業は全て静かにちゃんと受ける。
だから先生からの評価がいいんですよね。
小学生の時に、なぜ真面目に勉強をしていたのか。
思い出せない・・・。
けど根っこには確実に『負けず嫌い』があります。
勉強でもなんでも同級生に負けたくないんですよね。
そんな子です。
今も変わらず根は真面目ですよ。
中途半端な中学時代
中学時代はなんて表現したらいいのか迷います。
サッカー部に入ってサッカーは続けました。
けど、3年生になるまでは地獄でしたね。
ワタクシの中学校、1学年上がけっこう荒れておりまして。
不良連中もたくさんいました。
特にサッカー部に。
学校では怯えながら生きていた記憶があります。
上下関係のツラさを存分に味わいましたが、これも経験でしょう。
地元に帰るとたまに先輩たちに出くわすことがあり、普通に話もしますが『あの時のこと謝れや』とは少し思います(笑)
そんな中学生の頃も、思い返せば負けず嫌いが輝いていました。
定期テストの結果が全て張り出される。
自分が学年で何位だったのか数字で分かってしまう。
こうなってくるとどうしても負けたくない。
そこ習得したのが必殺技『一夜漬け』です。
これ、マジで得意なんです。
定期テストはこの必殺技で上位10%以内には入ってました。
普通の公立中学なんで、特に自慢になるような話ではないですけど。
塾は嫌いだったんで一度も行きませんでしたね。
この頃の趣味はゲーム。
正確にはゲーム業界ウォッチかな。
何気なく買ってみた『週刊ファミ通』に完全にハマってしまいまして。
毎週買ってコレクション。
ゲーム屋さんでタダでもらえる販促用のポスターを、部屋の壁一面に貼り付けたりしてました。
FF7でゲームにどハマりしたのもあるんですけど、とにかくゲーム業界への憧れは相当強かった。
ゲームクリエイターになって経験を積み、自分のゲーム制作会社を作って社長になりたい。
坂口博信
堀井雄二
小島秀夫
中村光一
もちろん宮本茂
などなど。
彼らのようにクリエイターとして有名人になる。
そんな夢が一番大事だった中学時代。
遊びまくって楽しすぎた高校時代
実は反抗期とかが重なって、高校受験のための勉強はほとんどしませんでした(笑)
相変わらず成績が良くて、内申点がめちゃくちゃいいんで成績だけで高校入学したようなもんです。
偏差値は50ちょっとくらいの普通の進学校。
高校では部活はやらず、大学受験に向けて勉強を頑張る!ってことにしました。
中学時代と同じように、授業は真面目に受ける。
根が本当に真面目だからね。
定期テストは一夜漬けを駆使し、同級生に負ける悔しさを味わわないように毎回気合いで乗り切りました。
それを繰り返した結果、高校3年間の全教科の成績の平均が10段階で9.2でした。
高2の時は成績クラス3位。
高3の時は1位。
これはちょっと自慢。
こう考えると負けず嫌いって本当にスゴいですね。
ただし。
ただしですよ。
こっちは一夜漬けで定期テストの点を取る手法でやってるので、大学受験に立ち向かえる実力は無い。
よって大学受験は盛大に失敗しました。
塾嫌いだったから塾には行かず、進研ゼミ高校講座を使って独力で大学受験に挑むという無謀さでしたし(笑)
偏差値50の高校とはいえ、成績クラス1位だったら普通に有名大学に行けていいはずなんですけど。
浪人なんて経済的にあり得ないので、ド三流大学に進学を決めました。
一方で、テストや受験が無い時期は地元の中学の同級生たちと遊びまくってました。
なぜか高校に入ってからの方がよく遊ぶようになったんですよね。
夏休みなんかは原付を乗り回して夜遊び。
カラオケでオールしたり、友達の家で『飲み会』をしたり。
この頃って高校生でも割と普通に酒飲んでましたよね?(笑)
コンビニで普通に酒買えたし。
ま、この時自分は酒が飲めないんだと知ったんですけど。
確実に受験失敗の一因ではありますが、そのおかげで一生付き合える仲間が出来たので問題ないです。
夢は変わらずゲームクリエイター。
でも、そんなことよりも友達と遊ぶのが楽しすぎた高校時代。
彼女と過ごした大学時代
大学は静岡を出て東京に行きました。
都会への強い憧れがあって、もはや東京の大学しか選択肢になかったです。
変わらずゲームクリエイターになりたかったんで、情報科学系の学部に入りました。
でも大学の思い出はほとんど『彼女』と『バイト』です。
根が真面目を押しますが、根が真面目なんで大学の講義もめっちゃしっかり受けました。
最終的に大学の成績も上位10%には入ってましたから。
三流大学だけど(笑)
でも思い出されるのは、大学1年の秋くらいから付き合い始めた当時の彼女のことと、レンタカー屋のバイトのことです。
結局その彼女とは7年間も付き合ったのに別れてしまいましたが、友達みたいですごく居心地のいい人でした。
昼間は学校に行って、夕方からレンタカー屋でバイト。
車の運転が出来て楽しい。
水、木と日曜は彼女と遊ぶ。
こんな生活をしてたと思います。
完全な田舎者だった僕は横浜生まれの彼女にいろいろ教えてもらい、晴れて垢抜け男子になりました。
ここで一つの変化が。
彼女と遊ぶことが多く、ゲームをやる時間がほとんどなくなっていきました。
その結果、あれだけ憧れていたゲームクリエイターが割とどうでも良くなっていく(笑)
代わりに台頭してきたのが『車』です。
レンタカー屋でバイトを始めたくらい、車・バイクが好きになってました。
さらにこの頃『イニシャルD』を読んでスポーツカーにハマり、佐藤琢磨からの流れでF1にもハマる。
すっかり車に関わる仕事がしたくなっていく。
人の価値観ってのはどんどん変わっていくものなんだと、身をもって実感した大学時代。
Uターン就職時代
そんなこんなで、車業界への就職を目指すことになったワタクシ。
そしてもう一つの決断。
それは『横浜に住む彼女を置いて、静岡にUターン就職する』ってこと。
東京は遊ぶところではあるけど住むところじゃないなってのが、大学時代の実感。
大好きな車も乗れないですし。
地元には仲のいい友達連中もいる。
当時はそれが当然の選択だと思ってました。
今思えば彼女にとっては相当なショックだったでしょう。
彼女のために関東に残るって選択肢がなかったのはなぜなんだろうか。
分かりません。
さて、要領のいいワタクシは6社くらい受けて就職先を決めてしまいました。
実家から通える範囲で探したってのもあって、そもそも志望する会社自体が少なかったです。
大手企業のグループ会社だけど、会社規模は中小企業。
そんな感じの会社です。
彼女とは遠距離になり、月に1回会いに行くという関係が3年くらい続きました。
実家の暮らしは快適そのもの。
高校の時に遊びまくった友達は相変わらずいる。
好きな車も買った。
20代前半も結局遊びまくってました(笑)
この頃、仕事への情熱はかなりありました。
積極的に勉強して、常にエンジニアとしてのレベルアップを心がける。
中小企業で層が薄いこともあって、2年目の初め頃にはグループリーダを任されるように。
いや、いくら中小とはいえさすがに早すぎると思うんですけどね。
そこはパパ主任研究員の面目躍如。
実力です。
サラリーマンとして、エンジニアとして登りつめてやるという意気込みもありました。
単純に仕事が面白くて好きでしたね。
仕事が第一だったUターン就職時代。
独身大企業サラリーマン時代
そんな時、ついに訪れる彼女との別れの時。
悲しみー。
いろいろあって、最終的に彼女の方から別れを切り出した。
ワタクシは遅ればせながら決断する。
『関東に行こう』と。
近くにいけばまだ何とかなるかもしれない。
地元にこだわってる場合か!ってなもんです。
こうして転職を模索しだしました。
そして運命の歯車が回りだす。
転職エージェントのサービスを使って転職活動をしました。
その中に有名大企業の求人が。
でも募集要項にある条件にワタクシは当てはまらない。
これは無理でしょってエージェントの担当の方に伝える。
でも『大丈夫です。行きましょう』と。
で、書類選考。
通る。
1次面接。
通る。
2次面接。
通る。
内定。
なんか知らんけど有名大企業への転職が成立。
そして彼女との復縁はならず(笑)
結局残ったのは、中小企業から大企業へ転職したという事実のみ。
なんか人生って面白いよねぇ。
地元を離れて、憧れの大企業での仕事。
独身。
止めるものは何もない。
それはもう毎日夜中まで、残業規制の限界まで働きまくりました。
やりがいのある、難易度の高い仕事も任せてもらえた。
そうして2年もすれば、完全に部署の中心人物になりました。
大企業といえど全然チョロいッス。
この時、仕事は面白いしバリバリ働いてバリバリ稼ごう!って思ってたと思います。
やっぱり仕事が第一だった独身大企業サラリーマン時代。
結婚そしてパパ時代(現在)
んで、結婚。
3年たって離婚。子供なし。
2行で終わる1回目の結婚生活(笑)
その後、今の嫁ちゃんと出会って結婚。
娘が誕生。
そして昨年のパパ主任研究員史に残る大事件『昇格試験に落ちる』
詳細はこちら↓
なんかね。
もう仕事とかどうでもいいわって感じです。
出世したところで、転勤・単身赴任の可能性が増大。
仕事の負荷の増大。
娘との時間を奪われて、金銭的なメリットはどんなに大きくてもたかだか年間数百万円。
今はもう家族との時間とか、自分の時間が一番大事。
会社でやるエンジニアの仕事はこの10年で十分すぎるほど堪能しました。
海外出張も何度もしたし、何千万円もする設備も自分で導入した。
面白かった!
ありがとう!
出世はデメリットが非常に多く、金銭的なメリットしかない。
お金は副業でカバー可能。
じゃあ出世する必要なし。
俺の人生は俺が決める。
会社に決められる人生なんて幸せとは言えない。
仕事を頑張らないといけないって誰が決めたんでしょう?
そういう固定観念は壊してOK。
プライドを持って仕事をする人はカッコいいです。
尊敬します。
でもそれはそれをしたい人がすればいい。
ワタクシは会社ではなく、家族と自分を幸せにしたい。
そのためには副業で稼がないといけません。
本業で稼げない分は副業で稼がないと一家の大黒柱失格です。
本業の手を抜いたっていいが、生きること自体に手を抜いていいわけがない。
だからこのブログを頑張ってるんです。
家族の幸せだけを願っている、結婚そしてパパ時代。
さいごに
なんなんだこの話。
誰が最後まで読むんですかね、コレ(笑)
何も考えずに書いたらムダに長くなっちったー。
はぁ。
なんかの役に立つことがあるんだろうか?
暇つぶしくらい?
とりあえずもうすぐ火曜日の朝5時。
じゃ、今日はここまで。